nekojiro612’s diary

孫の小遣い稼ぎの空売りマン

雛が来た

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サルたちは、未来の自分が抱え込むことになる損失やリスクは「他人ごと」だと思っている。その点ではわが「当期利益至上主義」者に酷似している。「こんなことを続けていると、いつか大変なこと」が起きた後の未来の自分に自己同一性を感じることができない人間だけが「こんなこと」をだらだら続けることができる。その意味では、データをごまかしたり、仕様を変えたり、決算を粉飾したり、統計をごまかしたり、年金を溶かしたりしている人たちは「朝三暮四」のサルとよく似ている。

 

 私たちはもう時間という概念が受肉した世界のうちに産み落とされているので、時間という概念がまだはっきりと輪郭を持っていなかった時代の人たちの目に世界はどんなふうに見えていたのかを思い描くためにはかなりの想像力の支援を要する。でも、時間意識の未成熟な人が実際に存在したと想定しないと、孔子が「遅れの倫理学」を説いた事情がわからなくなる。

 

 時間意識を持たない人間は実際に存在した。それは「朝三暮四」「矛盾」「主株待兎」などの一群の説話によって知られる。

 これらはどれも春秋戦国時代の人を扱っている。おそらくその時期に文字を知ることが遅く(レイトアダプターだったのである)、時間意識が未熟だった人たちがいたのである。彼らはそのせいで「今ここ以外の時間を生きているおのれ」というものにありありとしたリアリティーを感じることのできないものには、「因果」という概念も、「確率」という概念も

「首尾一貫」という概念も、もちろん「被造物」という概念もない。

 

 そのような人を「愚」というのはいささか気の毒である。しかし、ある能力を持っていない人たちを「笑い話」のタネにして嘲笑うということが、一種の教化的な営みだったということは認めなければならない。子どもに向かって、「あんなふうになったら、おしまいだぞ」と脅しつけることも教育の一つのかたちである。

 春秋戦国時代には、そのような「反面教師」として、繰り返し嘲笑された人たちがいた。「朝三暮四」という説話がある。宋の狙公の話である。

狙公はサルを何匹も飼っていた。だが懐具合がさみしくなり、餌代を節約しなければならなくなった。それまでは餌の「トチの実」を朝4つ、夕方4つ与えていた。サルたちに向かって、これからは「朝に3つ、夕方に4つにしたい」と提案するとサルたちは激怒した。

「じゃあ、朝に4つ、夕方に3つならどう?」と訊いたらサルたちは大喜びした。

 狙公は何を考えてこんなことをしたのか?彼は狡猾だったのだろうか。なんだか違うような気がする。たぶん、狙公自身、「自分がサルだったら、どう思うだろうか」と想像して、

「朝4つ、夕方3つの方がうれしい」と感じたのである。たぶん。

 

韓非子』には「主株待兎」という話がある。童謡「まちぼうけ」のオリジナルになった説話である。

 宋の国に一人の農夫がいた。彼の畑の隅の切り株に、ある日兎がぶつかって、首の骨を折って死んだ。それを持ち帰って兎汁にして食べた農夫は、次の日から耕作をやめて、終日兎がやってきて首の骨を折るのを待った。兎は二度と来ず、農夫は収穫物を得られず、国中の笑いものになった。

 この農夫には「確率」という概念がなかった。ある出来事がどのぐらいの蓋然性で起きるのかという考え方をしなかった。今、農作をしないで、ごろごろしているのは「らくちん」である。それはリアルに感じられる。でも未来に飢えているかもしれない自分にはリアリティを感じられない。「朝三暮四」と同じである。

「矛盾」もおなじ頃の話である。ただし、登場人物は宋人ではなく楚人である。盾と矛とを売っている武器商人がいた。彼はまず盾を取り上げて、「この盾は堅牢であって、いかなる矛もこれを突き通すことはできない」と能書きを述べた。続いて、矛を取り上げて、「この矛は鋭利であって、いかなる盾もこれを耐えることはできない」と誇った。通りかかった人が「あんたの矛であんたの盾を突いたらどうなるんだ」と聞いたら、商人は絶句してしまった。

 私はこの話を中学生の漢文の教科書で読んだ。そのときはただの「笑い話」だと思っていた。けれども、『韓非子』というのは別に笑い話を集成した本ではない。統治の原理を説いた書物である。「矛盾」の逸話は、賢者による徳治と暴君による苛政のいずれをも退けて、凡庸な統治者を法と制度で統御することの利を説く中で引かれた。どうして、こんな喩え話を引いたのか、よくわからない。「凡庸な統治者を法と制度で制御することの効用」を説くためなら、もっとよい例え話だって探せばあるはずである。でも、韓非はついにこの話を引いた。

 喩え話というのは、「わかりにくい理屈」を「みんなが知っている話」に置き換えて説明することである。「矛盾」は韓非の時代には「みんなが知っている話」だった。それは、そういう人間が実際に身の回りにいたからだと私は思う。

 この武器商人もまた、盾を売っているときには、矛を売っているときの自分にリアリティーを感じられず、矛を売っているときには、盾を売っているときの自分にリアリティーを感じることができなかった人なのである。ある程度の時間持ちこたえることのできる自己同一性というものを持たなかったのである。

 話は「その人応うる能はざる也」で終わる。商人は自分に向けられた問に答えられなかった。でも、彼はやりこめられたわけでもないし、おのれの不明を恥じたわけではない。ただぼんやりしていただけだと思う。何を言われたのか理解できなかったからである。

 

 時間意識を持たない人間については、もう少し血なまぐさい話がある。

 殷代に犬や羊や牛とともに、しばしば宗教儀礼において犠牲にされた「羌族」という集団がいた。安田登さんによると、羌族の人々は時間意識を持っていなかったらしい。だから、狩られて、捕らえられ、檻に入れられ、引き出されて生贄にされるときも、我が身に何が起きるか想像することができなかった。それゆえ、不安も恐怖もなかった。自分たちを狩る人間たちに対する怨念も憎悪も感じなかったし、狩られたことについての後悔も反省もなかった。かつて我が身に起きたことと今我が身に起きていることの因果関係がわからないのなら、そんなもの、感じようがない。

 その羌族はのちに周族と同盟して、殷の紂王を滅した。このとき羌族を率いて戦ったのが太公望である。つまり、この時点では、羌族は殷人に狩られる存在から殷人を狩る存在に変わっていたのである。おそらく羌族太公望を経由して、周公から「時間意識を持つこと」を学んだのであろう。

 羌族のこの劇的な変貌は同時代の人々に強い衝撃を与えたはずである。孔子が「周公の徳治」という言葉で指称していたのは、あるいはこの羌族の劇的な「進化」のことだったのではあるまいか。

 そうして殷は滅びた。けれども、殷人たちは殲滅されることなく生き延び、のちに「宋」という国を建てた。宋人の時間意識を笑うという一群の物語はあるいはかつて彼らに狩られた羌族の復讐なのかもしれない。

 

       内田 樹 『時間意識と羌族の復讐』より転載

 

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 本屋で内田さんの新刊を見ると、ついつい毎回買ってしまう。彼のテキストは「内田樹の教室」を見れば、最新号がいくらでも無料で見られるのだが、このタダというのは絶対に教養の取得にとっては宜しくない。価値のあるものは押し並べて料金を正当に支払うというのが大人の礼儀作法である。値打ちを自分から廃棄するような習慣こそを「サル化」と言うのだ。昨今 コスパと言う変な言葉が隆盛だが、使用者は総じてクズ野郎、クズ女が大半である。物事の利用価値を、コストのみで測るという「サル化」の貧しさが透けている。

 

作法や礼を知らない者に幸運は訪れないということを知者は例外なく知っているのだ。

貧乏くさいことをしていると運が逃げるから、良きものには躊躇わず金を払うのが世の礼儀であると僕は思う。

 

なんだかんだで氏の本は僕の本棚に都合30冊はあるだろう。どれを読んでもほぼ同じようことが毎回クドクド書かれているのだが、このクドクドこそが実に好ましい。インテリのための媚薬である。

 教育者として「クドイ、長い、複雑で無限反復する」という左翼教育の要諦を毎回押さえて、無知をインテリの世界に導く荒技を披露する。この技の切れ味を楽しむというのが読書の醍醐味であると思う。さすが東大安田講堂の戦士である。

 

 さてあるご婦人から綺麗な「お雛様」を頂戴した。今年、娘は37歳になる。三児の母として花屋を切り盛りしている。良き旦那に恵まれて実に幸福そうに生きているのは親として実に幸福だと思う。雛を眺めいていると昔を思い出す。