nekojiro612’s diary

孫の小遣い稼ぎの空売りマン

Everything and Nothing

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 彼のなかには誰もいなかった。その顔の背後(当時の劣悪な絵画を通して見ても、およそ誰にも似ていない顔だ)、膨大で奇想あふれる激しい言葉の背後には、ひとかけらの冷たさが、誰にも見られぬ夢があるだけだった。はじめ彼は、人間はみなそういうものだろうと思っていたが、この空虚さについて話し出すと友人が怪訝そうな顔をするのを見て、どうやらそうではないらしいことを悟り、個は種から逸脱してはならないことをつねづね感じるようになった。ひところは、この病を治すすべが書物に見つかるのではと考え、同時代の人間が話す程度のささやかなラテン語と、さらにわずかなギリシャ語を学んだ。のちには、自分が探しているものは人間の行う基本的な儀式のなかにあるのではと期待して、六月のある長い昼下がり、アンハサウェイに手ほどきを受けた。二十何歳かでロンドンに行った。その頃にはもう本能的に、誰でもない身であることを人に悟られぬよう、何者であるふりをする術に熟達していた。ロンドンで、あらかじめ運命づけられていた天職を見出した。すなわち、俳優という、舞台に上がって別の人間であることを、彼をその別の人間と間違える事を演じる人々の前で演じる稼業である。役者の仕事は、彼に奇妙な、おそらく生まれて初めての満足をもたらしてくれた。が、ひとたび最後の喝采が発され、最後の死者が舞台から運び去られると、あの忌まわしい非現実の感触が戻ってくるのだった。もしやフェレックスでもタンバレンでもなく、再び誰でもない身に戻ってしまう。こうして追い詰められた彼は、ほかの英雄たちやほかの悲劇的物語を想像するようになっていった。かくして、肉体がロンドンの淫売宿や居酒屋で肉体の運命を遂げているあいだも、その中に住まう魂は、占いの警告に耳を貸さぬシーザーであり、ひばりを厭わしく思うジュリエットであり、平原で魔女たち、運命の三女神でもある魔女たちと言葉を交わすマクベスであった。この男ほど多くの人間であった者はかつてない。エジプトの神プロテウスのごとく、現実のありとあらゆる姿を装うことができたのだ。時おり、作品のどこか片隅に、どのみち読み解かれまいと確信して、告白の言葉を残したりもした。自分は一人でも多くの人間を演じる、とリチャードは断じ、イアーゴは「私は私ではない」という奇妙な言葉を口にする。夢見る、演じる、この三つが根本的に同一であることから霊感を得て、かずかずの名文句が書かれたのだった。

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 二十年間にわたり、そうした統御された幻覚を保ったが、ある朝突然、刀によって斃れるあまたの王になったり、出会っては別れ朗々と息を引き取るあまたの哀れな恋人たちになったりすることの忌まわしさと恐ろしさに打たれた。その日のうちに、一座を売り払うことを決意した。一週間と経たぬ間に生まれた故郷の村に戻って、子供のころの木や川を取り戻し、もはやそれらを、詩の女神がたたえた、神話にほまれ高い、ラテン語で謳い上げられた木や川と結びつけたりはしなかった。何者かにならぬわけには行かないので、一財産築いた元興行師となって、金貸しや訴訟やささいな利子にかかずらわった。この人物として、我々の知るあのそっけいない、情念や文字の痕跡をいっさい排した遺言を口述させたのである。ロンドン時代の友人が隠居先まで訪ねてくると、彼らの前ではふたたび詩人の役を演じた。

 

 歴史のつけ足すところによれば、死の前か後に、気がつくと彼は神の面前にいて、神に言った。「空しくあまたの人間を演じてきたわたくしですが、これからはただ一人、わたくし自身でありたいと思います」。主の声が、つむじ風のなかから答えた。「私もまた誰でもない。お前がお前の作品を夢見たように、シェークスピアよ、私も世界を夢見たのだ。私の夢のなかのさまざまな姿のなかにお前もいて、私同様お前も、多くの人間でありながら誰でもないのだ。」




Everything and Nothing  ホルヘ ルイス ボルヘス  柴田元幸 訳

                    『MONKEY』より転載