nekojiro612’s diary

孫の小遣い稼ぎの空売りマン

下山の思想

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友人が台湾からマンゴーを取り寄せた。

デカイ!

 

 

 いろんな人がいて面白い。時々、知らない電話番号から着信がある。昨今は悪戯とかオレオレ詐欺とかもありえるので、僕は知らない番号は基本的にはでない。必要なら相手が留守電を入れるだろうと思うからだ。何かあればまずメールで送ってくるだろうと思う。

それで留守電を聞くと、お詫びとかお尋ねとかあって、必要ならかけ直している。

 

 ドコモの留守電は、発信地が表記されるから知らない場所だと疑るしかないし、よほどのことなら何回もかけてくるはずだ。

 

 郵送の場合には、相手の電話番号は必要がないが、ヤマト便の時は、相手の電話番号と郵便番号が必要になる。場帳を送るのはヤマト便になるので、電話が必要になる。

ねこ塾の生徒さんは、新旧含めると多分五百名以上はいるはずで、メールアドレスしか知らないケースもあったりするので、そういう人がヤマト便が必要になると途端に困る。名簿にしているのだが、見当たらない人も出るわけだ。こういう事務的なことは昔は若い社員がやってくれたのだが、熱海に移ってからは全部自分でやるものだから、ミスが多い。

メールの未配信とか未着信とか毎月起きて、混乱する。こちらからは配信しているが先方には着いていない。理由はいまだにわからないケースが大半だ。

インターネットは無料で便利だが、完全ではないという事だろう。起きたクレームに個別に対応するしかないなと思う。

 

 五木寛之の本を読んで、60歳を過ぎて80歳ぐらいまでは、健康、お金、人との繋がりの3点を現役時代とは変えろというアドバイスだった。

 

下山の思想というか、山から降りてくる方法で人生を楽しめという事だ。登山は下山の方が事故が多いから注意が必要だ。彼は孤独を楽しめという。家族と一緒に暮らしても頼るなということが重要だ。食事、掃除、身の回りのことは全て自分でやることが基本。妻や嫁に頼るなということ。孤独死を恐れるなということで、これは上野千寿子も同じ事を書いている。料理を覚えてよかったと思う。

 

一方で若者の代表、落合陽一氏も以下のように書いている。

 

落合陽一「お金があれば幸せ、という観念は変化していく」

 

* * *

 組織に所属して給料をもらわないと食べていけないという考え方は、近代の弊害だと思っています。今の日本には定職に就かなくても生活費を稼ぐ方法がたくさんあります。人口密集部とそれ以外で大きな差はあるものの、移動さえできれば仕事は見つかる。会社勤めの仕事をしないと生きていけない。お金があれば幸せになれる。貯金がないと不幸になる。そう教育されているだけです。

 今後はそういった観念も変わってくるはずです。今のお金と労働は実際のところリンクしていませんが、教育の影響でいつのまにか関係があるように信じ込まされています。金融商品や仮想通貨を扱って身銭を切って練習すれば誰でもやがて実感すると思いますが、お金はただのパラメーターです。大勢の人が価値があると思い込んでいるから、社会的に価値があるとされているだけです。

 労働の価値はお金だけで判断されるものではないし、動機づけとして金銭を超えたところにやりがいを見いだせる人は、これから人材としての価値が高くなると思います。

 オリンピックのアスリートを見るとわかりやすいでしょう。お金をもらうためではなく、目標を成し遂げるためにやらなければならないことをひたむきにやっている。自分がやりたいことを本気でやっている人にしか生み出せない価値があることに気づかされます。その視点は、永い集中と反復によって得られた固有のものの場合が多いからです。

 仕事について考える時に、もらえるお金のことを第一に考えてしまうのはなぜでしょうか。それは物事の本質的な価値を伝えたり、本当にやりたいことを考える余地を与えない教育の影響もあると思います。

 近代の教育は、基本的には均一化・標準化を指向します。いい大学に入り大きな会社に就職することが幸せであると信じ込ませる。そんな価値観に染まった子供に、自分が本当にやりたいことがわかるはずがありません。



今後、社会の競争の中で生きるのが大変になるのは、「何者でもない人」です。自分の中にある画一化されていない能力に、自分自身で価値を付けることが重要で、そこでは個人の社会的な訴求力が求められます。ロボットやAIのもたらす「システム」のほうが精度の高い作業や思考ができるという前提のもとで、これらのテクノロジーでは代替がきかない人材を目指すことが大事です。もちろん、そこそこの生き方ができればよく、自分から主体的に何かを考えたり、決めたりしたくない人もいるでしょう。そういった人を支援し、生活の糧を生み出す方向にテクノロジーは向かうべきだと僕は思っています。

 そうした個人が現状の一律に固定された価値観から離脱し、場所と組織とライフスタイルから自由になるような新しい価値観さえ受け入れられれば、今の日本の置かれている現状、生産人口の減少と高齢社会の到来は、必ずしも悲観する必要はないのです。高齢になると新しい仕事を覚えにくくなることを不安視する向きもありますが、学習のためのテクノロジーの進歩は、それを補ってあまりあるでしょう。たとえばマイクロソフトのホロレンズのようなARグラスを使えば、教師役がいなくても仮想世界で実技を交えた高度な修練を受けられます。これから仕事の習得はこういった技術の普及によってどんどん楽になっていくはずです。面倒な仕事や体力勝負の仕事を機械が代替する時代になれば、高齢者が活躍できる場面もたくさん出てくるはずです。

 人間が苦手とする作業を補助するためのIoTデバイスは、これからも増え続けます。今後さらに技術革新が進むことで、未来の労働は確実に楽になるでしょう。

 高齢者には人生経験があります。あとは新しい価値を受け入れる柔軟性とやる気さえあれば、健康を維持するだけで有用な人材として社会に貢献できるのです。ただし、健康にだけは注意しましょう。生物的・肉体的な意味においての「人間」はとても複雑で、人間の肉体や器官をすべて機械に置き換えるのは非常に難しいのです。テクノロジーが進歩しても、人間の健康問題の最終的な解決は、まだしばらく先のことになるでしょう。

 

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生徒にうねり取りの相場の基本を教えるという仕事は、大きな金にはならないが、自分の気づきにまずなる。どうやって相手の行動を変えるか?という点が重要で、

 

1 損ばかりしている人に以前と逆の事をさせる

2 それで利益が出れば、今までの自己否定がすんなりとできて

3 僕の言う事を実行しようとする

 

1−3で仮に彼が儲かると、人間は現金なもので途端に僕の話を信じる。自分の持っていた幻想というかイメージがダメだった(現実に通用しなかった)ことに気がついて、正しい努力の方向性を自分で理解すると、自ずと真面目にやるべき事をやるようになる。

 

相場は予測のゲームじゃない、波乗りのバランスのゲームなのだと理解する。上げの波、下げの波はバランスと時間が異なるから難しいのだ、と理解する。

 

落合君の言う 

 

個人が現状の一律に固定された価値観から離脱し、場所と組織とライフスタイルから自由になるような新しい価値観』

 

  とはまさに山頂の孤独な悦楽的ヒラヒラ相場師が今風で良いんじゃないか?

まずAIにはできない仕事だろうと思う。だってアメーバごとにアメーバの程度が異なるからだ。

別段、お金があると幸福か?と言えば、まあ無いよりは少し便利という程度のことで、無いなら稼げば良いだけのことだ。それには相場がある。金を浪費することに飽きたら別の事をするようになるのが人間だと思う。