nekojiro612’s diary

孫の小遣い稼ぎの空売りマン

しょぼい生活革命

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 だいぶ前の事ですが、大瀧詠一さんがラジオの『新春放談』で山下達郎さんを相手に、「ほんとうに新しいものはいつも『思いがけない所』から出て来ると語ったことがありました。ポップミュージックについての話でしたけれども、僕はあらゆる領域にこの言明は当てはまると思いました。「本当に新しいもの」はつねに「そんなところから新しいものが出て来るとは予想していなかったところ」から登場してくる。

 音楽だけではなく、美術でも、文学でも、映画でも、学術でも、事情は同じです。いつだって「え、こんなところから!」と驚くようなところから新しいものは生まれて来る。

 

 もう一つ、これも僕の念頭を去らない言葉ですが、村上春樹さんがインタビューに答えて言った言葉です。「時代によって知性の総量は変わらない」。これもその通りだと思いました。賢者が多い時代とか、愚者ばかりの時代というようなものはありません。どんな時代だって、賢愚の比率は変わらない。変わるのは賢愚の分布だけです。

 ある時期、才能のある人たちが「ダマ」になって集まっていた領域に、何かを境にして、才能のある人がパタリと来なくなるということがよくあります。これまでにそういう場面を何度も目撃しました。テレビや広告業界や週刊誌は、ある時期煌めくような才能が集まっていましたが、ある時期からそうではなくなった。でも、それをもって「才能のある人間が日本からいなくなった」と推論するのは間違っています。才能のある人はどこかよその、もっとスリリングな領域に立ち去ってしまったのです。

 そういう現象がいま日本社会のさまざまな分野で同時的に観察されています。少し前まで、才能のある人、創造的な人、破天荒な人がひしめいていた業界が、定型的な文句を繰り返し、前例主義にしがみつき、イノベーティブな企画を怖がる人たちばかりで埋め尽くされるようになった。そういうケースを皆さんもいくつもご存じだと思います。

 でも、別にそれをそんなに悲観することはないんじゃないかと僕は思っています。

 才能のある人も、知的に卓越した人も、想像力に溢れた人も、人口当たりの頭数にはそれほど経年変化はありません。だから、もし、「これまでそういう人がいた場所」にそういう人が見当たらないのなら、それは「それ以外のどこか」にいるということです。

「それ以外のどこか」がどこなのか?それは僕にもまだよくわかりません。それでも、なんとなく、「あの辺かな?」という予測はありますけれど。

 

 例えば、「美味しい食べ物を作る仕事」、「長く師について伝統的な技芸を習得しないと出来ない仕事」、「身体と心の傷を癒す仕事」、「書物を商品ではなく、『人間に取ってなくてはならぬもの』として扱う仕事」、「品位、親切、礼儀正しさといったことが死活的に重要な仕事」といった領域には、才能溢れる若い人たち(あまり若くない人たちも)が集まっています。

 いま、僕が行ったこの列挙の仕方のカテゴリーミステイク的な無秩序ぶりからも、「あの辺」とは「どの辺」なのか、一意的には条件を定めるのがむづかしいということはお分かりいただけると思います。

 それでも、とにかく才能のある若い人たちが、「ある種の領域」に惹きつけられて、かたまりを作りつつある、、、という直感を僕と共有してくれる読者は決して少なくないと思います。   (中略)



 えらてんさんとの出会いは僕に取ってそのような徴候の一つでした。

 えらてんさんがどういう人なのか、僕はこの対談でお会いするまでよく知りませんでした。中田考先生経由でお名前を知って、ツイッターをフォローしたり、YOUTUBEの動画を見たりはしていましたが、どういう経歴で、どういう仕事をしていて、どういう考え方をしている人なのか、詳しいことは知りませんでした。

 ですからこの対談は、彼がどういう家庭で生まれて、育ったのかという『デヴィット コパフィールド』的な語りから始まっています。そして、元東大全共闘だった両親の下で、共産制のコミューンで育ったという驚嘆すべきライフヒストリーをうかがい、朝起きられないので定職に就かず、「しょぼい起業」をしたり、ユーチューバーとして収入を得ているという話を聴いて「ほんとうに新しい世代」の人なのだと思い知りました。

 一番驚いたのは、彼は僕たちの世代が口角泡を飛ばしてその理非を論じ、身銭を切って学習したり、あるいは批判してきた知見を(マルクス主義ポストモダニズムフェミニズム新自由主義を)、「生まれたときからそこにあったもの」としてやすやすと、手になじんだ道具のように扱うことができる。そういう世代の人だということでした。

 

 ピエールブルデューは『ディスタンクシオン』で「後天的に努力して文化資本を学習しなければならない階層」と「生まれつき文化資本を身につけた階層」の乗り越えがたい差異のうちに階層再生産の力学が働いていることを明らかにしました。

 「飲んだことのないワイン」について、セパージュがどうたら、テロワールがどうたら、マリアージュがどうたらとあれこれ蘊蓄を傾けられるのが「後天的文化貴族」。一方で、ワインの銘柄も産地も知らないけれど、それを口にしたとき鼻腔に広がった香りや、グラスの舌触りや、かかっていた音楽や、窓から見た風景をありありと思い出して、その愉悦について語ることができるのが「先天的文化貴族」です。文化資本をどこからか集めて来た情報として所有しているのか、固有名での「経験」として所有しているのか、その違いと言ってもいい。

 

 えらてんさんは僕たちの時代の歴史的経験を、一般的な情報としてではなく、「固有名での経験」として生きている。そういう印象を受けました。説明のしかたが下手ですみません。でも、そういう印象を受けたんです。

 例えば、60年代末の「全共闘運動」がどのような思想や心情にドライブされていたものかということを、彼は資料を経由してではなく、親子関係を通じて身にしみて知っていた。そういう人と出会ったのは、僕は初めてでした。

 

 僕たちの世代にとって、全共闘運動は非日常的な高揚感やあるいは救いのない失意を含んだ一個の「物語」でした。だから、僕たちはそれを語るときについ「遠い目」をしてしまう。でも、えらてんさんにとって、それは「物語」でもなんでもなく、ほとんど凡庸な「日常的現実」だった。

 そういう人に僕ははじめて会いました。そして、そういう経験をした人の目から、世の中はどう見えるのだろうかという事につよく興味を惹かれました。

 ですから、、この対談でも、彼の話を聴いているとき、僕はだいたい口を半開きにして「はあー」と呆然としておりました。

 でも読むとわかりますけれど、この対談での中では、僕の方が彼よりたくさんしゃべっています。ただし、それは僕の方に彼に「教えたい事」があったからということではありません。そうではなくて僕の方に、「生きているうちに伝えておきたいこと」があったからです。先生が生徒に向かって教壇から教えるというのではなく、息も絶え絶えになった古老が、若者の手を取って、「これは先祖から伝えられた教えじゃ。わしはもうあといくばくもない。だから、ここでお前に伝えておくよ」というような感じです。えらてんさんは僕のそういう「感じ」をきちんと受け止めてくれたと思います。

 彼が僕の「口伝」をこれからどういうふうに生かすのか、しまいこむのか、捨てちゃうのか、それは彼が決めることです。僕としては彼もいずれまた一族の古老として死期を迎えて、若者の手を取って、「これは先祖からの、、、」をやる時が来た時に、そこに僕からの「口伝」の断片がいくつか含まれていたら、それだけで十分に満足です。



『しょぼい生活革命』序文  内田 樹  より転載