nekojiro612’s diary

孫の小遣い稼ぎの空売りマン

マンネリ打破

 

横浜伊勢崎町の有隣堂本店で、散歩のガイドブックと食レポの元本のような文庫を買った。歩くというのは、人類が定住生活を始める以前の本能の行動原理だったから、定住して働く必要が無くなった老人層が自然に開始する習慣なのかもしれないと最近考えるようになった。歩けなくなれば当然先は短いという事。

 目的なくほっつき歩くというか僕の場合は、老人になってから何か美味いものはないかと、知らない場所に名店を探して辿り着くというような暇を潰す散歩を日課にし始めて久しい。自分では知らない良い店を、ネット検索して探す。食べログの100名店はハズレが少ないのでよく使うが凄く良い店もあれば、ダメなのもたまにある。

 昨日行った、横浜馬車道のアオキというトンカツ屋は素晴らしい。安くて美味いので行列ができるし、すぐに売り切れのメニューが出る。昨日は、上ローストンカツと大海老フライを食べた。2400円で至福の時間である。塩で食べるトンカツという触れ込みだが、ソースでも醤油でも美味しい。待ち時間は10分程度。ここまで熱海から90分東海道線に乗って行くのだが、昨日で5回目だと思う。往復に3800円の交通費がかかるけれど、90分JRに乗れば、それだけ読書ができる。僕は人より何倍も本を買うのが習慣だから、それを読む時間を強制的に作る必要があって、電車移動はうってつけである。堂々と65歳以上だから優先席に座って本を読むのが習慣となった。老人は優遇されているから、映画もシニア割引で1300円でいつでも新作が見れるが、日曜のゴジラは駄作だった。

 

 散歩をより有効にするには、ガイドブックがあった方が面白いものに合うチャンスが増えるだろうという事で、神奈川湘南、鎌倉、横浜付近の散歩33コースという5キロ程度のゆるい散歩コースガイドを有隣堂で見つけた。1日8000歩歩くには6キロ程度が必要で、できれば傾斜の少ない平坦な道の方が歩きやすい。神社仏閣のような場所より、海や山や林のような自然のある場所の方が好きだが、そういう所は、良い飲食店が少ない。やはり駅付近に集まっているのは、商売上当然の立地だろう。駅ごとに歩くガイドブックの編集が便利なのだな。

 

 歩いていると、同じような年代の老人たちがかなり多い。一人で歩く人、友人や夫婦で歩く人と色々いる。当然、そういう人たちは元気でゆとりのある人が大半だ。貧しい人は老人になっても働かないと生きていけないから平日にぶらぶら散財して遊ぶ余裕はないだろう。

関東の最低時給はおそらく1000円程度。パートで8時間労働すると8000円。一方で遊んでいる人は、半日は1日遊んで1万、2万と散財する。その差は絶対額で1日あたり2万、3万だから、それを1ヶ月に10回やれば20−30万の差異になる。平たく言えば年金の月額以上に相当する。それを平均的に「浪費する」層が日本の消費を支えているのだろう。

 

 歩くと自然にお腹が減る。そういう方が飯が美味いので幸福度が高い。

デスクでパソコンをチャカチャカやって金儲けをしても腹はちっとも減らないので、そういう時間を減らして歩く方が良い。いくら沢山金が余っていても使いきれないのなら無駄な仕事という事で、自分でなんとかなる範囲で必要十分な気がする。

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『死ぬってどういう事ですか?』 内田さんより転載

 

ある国会議員から会いたいという連絡を受けた。政局の話かと思って伺ったら、「先生は死というものをどうお考えですか?」と質問された。政権交代の可能性についてあれこれ仮説を考えていたところに「そんなこと」を訊かれたので、びっくりしたが、「死」は私の念頭を去ったことのない主題であるので、思うところを述べた。
 人間はいろいろな仕方で病んでいるけれど、最も重篤な病は「死ぬ」ということである。他の動物は「自分が死ぬ」ということを知らない。人間は自分がいつか死ぬということを勘定に入れて生きなければならない。一人一人が「自分がいつか死ぬ」ことの耐え難さを緩和するために、それぞれの物語を作らなければならない。「死について何も考えない」というのも一つの物語である。私も一つ自前の物語を持っている。
 私はもう古希を過ぎて久しい。歯はインプラントだし、膝には人工関節が入っている。狩猟民の昔だったら食物も噛み切れないし、集団について歩くこともできない老人だから、とっくに路傍に捨てられて死んでいたはずである。臓器もあちこち傷んで来たが、医学の進歩のおかげで生きている。
 だから、私の今の状態は「生きている」というよりは「まだ死んでいない」という方が近い。だんだん死に始めているけれど、まだ死に切っていないというのが私の実感である。
 そのうち生物学的な死が訪れて、葬式も済み、「偲ぶ会」も賑やかに行われ、遺稿集も編まれ、七回忌が済む頃には知人友人たちもだんだん鬼籍に入る。そして誰かが「みなさんももうお足がおぼつかないお年になられたので、この十三回忌あたりで内田先生の法要も仕舞にしようと思うのですが、いかがでしょう」と言い出して、みんな「そうだね」と頷く。あとは古い門人や教え子がたまに墓の苔を掃いに来るだけで、私の名前を記憶している人もしだいにいなくなる。
 そう考えるとだいたい生物学的に死ぬ十三年前くらいから「死に始め」、十三回忌あたりで「死に切る」という計算になる。つまり人間は前後27年かけてゆっくり死ぬ。というのが私の作った「物語」である。
 こんな話なんですけれど、いかがでしょうかと言うと、かの国会議員も深く頷いて、「なるほど、そういう考え方もあるんですね」と納得されていたようである。
「自分が死ぬことの耐え難さ」を緩和するためにはいろいろな物語がある。現世で功徳を積めば来世はいいことがあるというのも、極楽浄土に往生するというのも、そのうち弥勒菩薩が救いに来てくれるというのも、どれも多くの人が選択した物語である。その中でもすぐれたものに「黄泉の国」を旅する物語がある。
 村上春樹の長編小説の多くはある時期から主人公が「穴」に落ちて、「黄泉の国」を経巡ってから戻って来るという構造になっている。河合隼雄村上春樹との対談で、「死後の世界」について想像力を行使するというのはとてもよい死への心がけだと述べている。
「いろいろ方法はあるのだけれど、死後に行くはずのところを調べるなんてのはすごくいい方法ですね。だから、黄泉国へ行って、それを見てくるということを何度もやっていると、やがて自分もどこへ行ったらいいかとか、どう行くのかということがわかってくるでしょう。」(『村上春樹河合隼雄に会いにいく』、岩波書店、1996年)
 さすがに河合先生は言うことが違う。(中日新聞「視座」3月号)