nekojiro612’s diary

孫の小遣い稼ぎの空売りマン

『オジいサン』と相場


GWEEKがやってくる。今年も孫が二人と長男とお嫁さんがやってくる。老人向け家族サービスという事なんだろうと思う。

 

 昨年は スミレちゃん(長女の次女)9歳が一人で小田急線に乗ってやってきた。9歳女子はなかなかしっかりしている。新規開店した平塚のアウトレットに連れて行って素敵なドレスを2枚買って、好きなランチを食べさせて、湘南の海と熱海の海岸で遊ばせた。

行動力があり、はっきり堂々と物を言う。自分の小学生の時は、とてもそんな風に大人に対して意見を言うなどという事は出来なかったし、一人で2時間も特急電車に乗って遠い場所にいくとか、新幹線に一人で乗るとか考えられなかった。小学4年生になるともうスマホを持っているのだ。半世紀で子供の暮らしは変わった。(我が家だけだろうか?)

 孫ができると自然に『ジジイ』と『ババア』になる訳だが、僕は16年前、つまり52歳で祖父になった。つまり初孫は現在16歳で、高校生になって丸亀製麺で夜にアルバイトをしている。時給1300円と立派なものだ。僕が中学生の時は実家の店番のアルバイトは時給300円だった。60年のインフレで賃金は4.3倍になったのだ。現在熱海の時給はそんなに高くないので、都内の人手不足は深刻なのだろう。シフト制で何店舗かのヘルプ要員でレジをやっているらしい。



 京極夏彦の『オジいサン』と藤野千夜の『じい散歩』を続けて読んだ。71歳と89歳の引退した爺さんの話。71歳は生涯独身、89歳は妻が90歳で痴呆気味で息子三人は全員独身という設定だ。なかなか爺さんも厳しい時代という事だ。

 

 老ー病ー死 と全ての生物はこのプロセスで死んでいくのが普通だが、自分が「老」になって、まだ病や死はすぐにはこない感じだが、周囲では病と死が間近に迫っている人が珍しくない。膵臓癌でステージ4であと1ヶ月の人がいて、彼は74歳で先週入院した。もう食事がほとんど取れないようだ。昨年も友人のパン屋のオーナーが64歳で死んだ。彼女もガンだった。年下の人でもそうやって病気、死というプロセスでどんどんいなくなっていく。

 

毎年、正月、GWEEK,夏休みと3回は子供や孫の誰かが交代でやってきて、賑やかな数日が過ぎて、終わるとホッとする。エネルギーの質量が老人と若い人では違いすぎるので、仮に一緒に住んでいたら疲れて多分早死にするんじゃないかと思うほど、ハードだ。だから3世代同居なんてのは地獄だろうと思う。30年と60年も違う2世代と話が合うはずがないのだな。無理をするのは年に数回で十分である。

 

 2冊の老人小説では、同世代の友人、知人がやはりどんどん死んでいく。主人公は元気で生き残る。両方とも『散歩』が重要な毎日の日課になっている。社会との接点が散歩なのだ。3週前に『散歩哲学』という本を読んだが、老人になったら誰もが散歩するようになるのかもしれない。時間が出来て、自由になって、人は死ぬ前に何をするのか?

老人には共通点があるという意味で、健康で歩行ができる以上は移動するのだ。それが本能なのだろう。

 

現在66歳以上の老人でも仕事をしている人は4割以上いるらしい。現役時代ほどハードではないにしろ、何かで社会と繋がっていたいという欲望だろう。人間は集団生活をするような本能があるのだ。その方が安全で合理的と本能が知っているからかもしれない。自分が集団の中いるには、仕事をするのが一番簡単だから自然にそうなっているのかもしれない。

グラフが書けないとか場帳が書けない事態になったら僕は完全引退すると決めている。相場師は個人でする仕事だから、頻度と量を減らせば死ぬまでできると思うが、出来るとしたいは異なるので、やりたくなくなったらすぐに辞めるだろう。17歳から相場を知って、ここまで半世紀が過ぎた。生き残れたのは幸運だったと思う。相場は全てを与え全てを奪う。